スミソニアン体制について
その後、スミソニアン体制と呼ばれる新たな固定相場制へと移行しました。
しかしながら、アメリカやイギリスの国際収支は一向に改善されることがなく、1973年には先進国中心に変動相場制が開始されました。
変動相場制に移行した直後に、オイル・ショックが起きたこともあり、ますます円高/ドル安が加速しました。
その後、レーガン大統領の高金利政策によって、円高/ドル安はしばらく解消されていましたが、プラザ合意により再び円高が加速しました。
それ以降は、ルービン財務長官が「強いドルはアメリカの国益」政策を断行していた1995〜1998年を除いては、総じて日本円は円高の歴史をたどっているといえます。
日本円の国際通貨としての役割?
1990年代前半頃までは、しばしば国際通貨としての円の役割が議論されていました。
これは、1995年当時、米ドル(59%)、ドイツマルク(18%)に次ぐ第3位の準備通貨に日本円(6.8%)がなっていたからです。
しかしながら、2007年のIMFの調査によれば、米ドル(63.9%)、ユーロ(26.5%)、英ポンド(4.7%)、日本円(2.9%)となっており、日本円の国際通貨としての存在感は急激に薄れつつあるといえます。 |