ポンド危機とはどのようなものですか?
以下に述べる1992年のポンド危機は、英ポンドにまつわる比較的最近の出来事といえます。
ヨーロッパ諸国では、1989年に欧州共同体(EC:後の欧州連合EU)がEMU(経済通貨同盟)の完成へ向けて動き始め、通貨についてもERM(欧州為替相場メカニズム)により統一通貨の準備を始めていました。
その直後の1990年10月、当時ヨーロッパにおいて経済的影響力を持っていたドイツで東西統一が実現したことをきっかけとして、ポーランドやハンガリーなど東欧諸国の共産党政権が次々に崩壊していきました。
このとき、旧西ドイツから旧東ドイツへの融資をはじめ、東欧諸国への融資が活発に行われたことにより、ヨーロッパ諸国の金利が高止まりしていました。
また、ERMを採用していたイギリスにおいても金利が高めに推移し、その高金利が英ポンド高を誘発していました。
これに目を付けたのが、ジョージ・ソロス氏が率いるヘッジファンドでした。
彼らは、1992年9月に、徹底的に英ポンド売りを仕掛けたのです。
これに対して、BOE(Bank of England:イギリスの中央銀行)も金利を上げたり、介入などを行って対抗策を講じたものの、最後は屈服せざるを得なくなり、その結果、英ポンドは暴落し、ジョージ・ソロス氏は巨額の利益を獲得したのです。
これが、有名なポンド危機といわれるものです。 |